ただの映画日記

備忘録として映画の感想文を書いているだけ。

「ドクター・ストレンジ / マルチバース・オブ・マッドネス」感想

2022.05.06 TOHOシネマズ仙台 初回鑑賞

サム・ライミ監督/アメリカ/2022年

 

 ドクター・ストレンジ2作目はサム・ライミ、と聞いたのは何か月前だっただろうか。その時から興奮冷めやらぬまま待ちに待った公開日。なぜか金曜日じゃなかったので初日に行けなかった。無念。

 

 ところでMCU作品はおそらく2014年のガーディアンズ・オブ・ギャラクシー以降映画作品はすべて劇場に足を運んでいるが、全てのシリーズが大好きで観込んでいるかと言われれば全くそんなことはない。私がMCU作品で最も好きで詳しいのはまず間違いなくエージェント・オブ・シールドだろう。ドラマだけど。

 エージェント・オブ・シールドは本当に好きで、全シーズン全話通して3回ずつ以上は観たと思う。それでもかなり長いのですべてのことを事細かに憶えているかと言われれば微妙だ。逆に言えばまだ何度でも楽しむ余地がある(笑)

 なぜ数ある映画作品を差し置いてエージェント・オブ・シールドが好きかというと、まあこれは個人的な好みの問題ではあるが、単純にストーリーがしっかりしているからに他ならない。混沌としたMCUユニバースを描くのに、やはりこのぐらいの尺はいるだろうな、という長尺をエージェント・オブ・シールドは持っているのだから当然ともいえる。2、3時間に詰め込んでしまうにはあまりにごちゃごちゃしすぎているのだ。それも作品を重ねるにつれて余計に。

 そこまで言ってなぜ律儀に劇場に観に行っているかというと、MCU作品の映像美と音響は間違いなく他の作品を抜きんでているから。

 

 で、今回のドクター・ストレンジ2作目も例にもれず、というかまあタイトルにマッドネスとあるので予想通りカオスだった。とはいえ素晴らしかったのは、主要な役を最小限に絞っていたことだ。ストレンジ先生にウォン、ワンダ、クリスティーン、アメリカの5人さえ憶えていれば、後の重要だが細かい登場人物たちは知らなくてもストーリーとしては十分に理解できる流れになっていた。こういうのは、過去作のオマージュとかに先んじて大切なことだと思う。特に最近のMCU作品は過去の関連作品をすべて観ていないと良くわからない、といった作りになっていたのでそれがなかった分MCU初心者じゃないとしても観やすかった。(例えばアベンジャーズ一作目やエイジオブウルトロンを観ないとインフィニティ・ウォーが分からないというのはまだいいが、ソー・ラグナロクを観ていないとインフィニティ・ウォーが分からない、というのは個人的には不服。そこはMCU系列ではあれど別のシリーズだと認識していたので。ただMCU作品を観る以上そこに文句を言っていたら始まらない。そしてすべて履修してから新作を観ようというのも骨が折れる話なので、ある程度は諦めて訳の分からないまま観るのもまた一興だろう。)

 

 先述のとおり、自分が一番詳しいMCU作品がエージェント・オブ・シールドだったので、ダークホールドと聞いて真っ先にあのシーズン4が思い浮かんだが、映画作品の中にも出てきていただろうか?憶えてない。

 エージェント・オブ・シールドでは人間が読むと気が狂うとか、エイダがあれを読んで人間の体を手に入れたとかそんな感じだったが、まさかマルチバースを操れる本だったとは。んで一目見ただけでいとも簡単にドリームウォークをやってのけてしまうワンダとストレンジ先生はやっぱりなんでもアリなアベンジャーズ最強メンバーと呼べよう。あれならホークアイがモヒカンの弓使いと言われても仕方ない。推しだから少し遺憾だけど。

 

 全体を通して色んな世界のストレンジ先生とワンダが話の主軸だったおかげで、ゲストキャラ(?)のアメリカをはじめせっかく他のシリーズから登場してきたキャプテンマーベルやファンタスティック4、X-MEN、そしてヒロイン(?)のクリスティーン等々の重要人物たちが少し雑な扱いだった気もするけど。まあヒーローたちは全員スカーレットウィッチの強さを表すために用意された犠牲ということで…

 アメリカの覚醒もホント急すぎだよね。まあイキナリ覚醒現象はアメコミあるあるで、その最たる例をキャプテン・マーベルの映画で見せてくれてるわけだから今更驚かないけども。

 

 あと今回は最近のMCUの中でもかなりサスペンス&ホラー色強めだったのではないだろうか。正直途中からずっとビビりっぱなしだったもの。まあ魔女がヴィランなわけだし。ワンダ・ヴィジョンのドラマも若干その傾向あったしな。しかもサム・ライミだし。

 んで個人的にはドラマを観た時からワンダは推しの一人。ああいうキャラは本当に好き。強いのに感情に振り回されちゃう人間らしいヒーロー(ヴィラン?)。

 

 これは最近のアメコミ作品に共通して言えることだが、昔ほどヒーローvsヴィランの表裏関係がハッキリした構図を観なくなってきた。最近はそういうのは売れないんだろう。本作もストレンジ然りワンダ然り、ヒーローだった者があるときはヴィランになりそしてまたヒーローになり…しかし結局自分の引き起こした事態を片付けた行いはヒーロー的であると言えるのか…まあ一人の人間を一義的に善だ悪だとは決められないということだろうか。現実的だ。(そこだけは)

 キャラクターたちが持つ設定もどんどん複雑になってきて、もはや彼がどういう力の使い手で、それはどういう原理で働いていて、というのをいちいち説明しなくなってきた。まあアメコミ・アクション映画にそれを求めてはいけない。戦っている姿がカッコよければそれでいいではないか、というジャンルなのだから。

 

 そういえば久しぶりの3D上映だった。コロナ以降すっかり見なくなっていたので久々な気がする。前の方の席で見たのですごい臨場感。この作品に3Dはベストマッチだったなあ。