ただの映画日記

備忘録として映画の感想文を書いているだけ。

「ザ・クリエイター / 創造者」感想

2023.10.20 初回鑑賞

ギャレス・エドワード監督/アメリカ/2023年

 

 今年一楽しみにしていたかもしれないザ・クリエイター、公開日にしかとIMAX鑑賞してまいりました。過去一リピったローグワンのギャレスエドワード監督作品。世界観の作りこみが細かくて、脚本は真っ直ぐかつ深い。現実よりもう少し進化しているAIとどう向き合っていくべきかを沢山の疑問を投げかけながら描いている、タイムリーなテーマのSF。最近ここまで丁寧なSF映画はなかなか観れていなかった気がする。子役の演技がすごく目を引いたのと、ローグワンのシールドゲートやらドロイドを想起させる作風…そして日本語と英語が入り混じったセリフと字幕と街並み。あれ、今ドンキホーテの看板見えたような…みたいなギャレスエドワードのヲタクな世界観(?)も楽しめます。

 

 序盤に丁寧な世界観の説明があり、この映画ではストーリーというよりその世界観自体が趣旨であると感じた。5年前にAIに核を落とされた人類の半分はAIを撲滅しようと大気圏外に巨大なノマドというミサイル基地を作り、もう半分はAIと共存しようとノマドに隠れながら暮らす道を選択した世界。ミサイル基地を動かすアメリカは「戦争をしているわけではない、自己防衛である」と言いつつ、銃弾の届かない安全地帯から圧倒的な火力で日本や中国やタイなどいろいろな文化が混ざり合った”ニューアジア”のいくつもの拠点を爆撃している。そしてノマドを破壊しようともくろむ兵器を生み出したものがいるという情報を知り、主人公のジョシュア含むアメリカ軍の兵士が兵器の破壊とその”クリエイター”の暗殺に向かった。

 予告の時点でその兵器が少女型のAIアルフィーであることは明かされていた。重要なのはこの世界の人型AI(なんか名前があった気がする…)が”実在する人間もとに作られている”ということだ。よく映画に出てくるAIはプログラムなどで一から感情や記憶を作った全くの新しい”人格”であるような場合が多いのに対し、そこが本作のAIのユニークな点である。今流行りのChatGPTやDeepLやイラスト生成AIなんかが必ず元となるデータを学習したうえで自ら精度を高めていくように、本作の世界のAIも元となる脳のデータを学習する必要があるようだ。そこからプログラムによって更なる感情や記憶を蓄積していき一つの人格を形成するんだろうと理解した。

 つまり子供型のAIを作るには子供の脳からデータを取り出さなくてはならず、まして人間のように胎児の状態から大人になるまで成長していくようなAIを作るなら胎児の状態で脳のデータを読み込まなくてはならない。だからアルフィのような子供型のAIは非常に珍しがられていた。ヒトの脳細胞は数を増やさない代わりにシナプスの形成やエピジェネティックな変化によって周囲の環境に応じた働きをするようになるから、子供の脳は幹細胞のように大人の脳のデータを読み込むよりもAIにとって成長の余地や自由度が大きいという設定だったのではないだろうかと思う。アルフィが特別だったのは、もちろん"クリエイター"本人が手を加えた設計であることに加えて「子供の脳」というシナプス構造の特殊性によるものだったんだろう。

 ジョシュアはアルフィーを破壊するべき立場だったが、彼女が死んだはずの妻マヤに繋がっていると知りアルフィーを連れて逃げ出し、途中でアルフィーがマヤのお腹の中にいた胎児のコピーであることを知った。さらにアルフィーの仲間のAIに囲われ、ニューアジアの拠点の一つに連れていかれる。そこはAIと人間が等しく共存する世界で(しかもトンデモジャパン)、彼らはノマドの爆破によって致命傷を負っていたマヤを脳死状態で生かしていた。自らの手でチューブで延命されているマヤを終わらせるジョシュアと母の死に涙を流すアルフィ。最終的に機械である彼女を機械と見れなくなってしまったジョシュアはアメリカ軍に命じられるも彼女を殺さず、アルフィーの特殊な性能を利用してノマドに乗り込み破壊する計画を実行した。

 

 物語の進行中、様々なタイプのAIが登場する。この世界では多くのAIに感情を持たせているようだ。R2D2ののような見た目をしたポット型の特攻機は「お仕えできて光栄でした」的なことを言いながら起爆装置のスイッチを入れて敵陣に突っ込んでいく。何かあったときに自分で判断できるようにAIを装備したのだとしても、そういった役割の個体に人格は必要であろうか。そしておそらく人型でないからこそ、同じ人の人格を背負っていたとしても人型のAIと同等には扱われない。

 となると結局何を基準にAIの権利を線引きするのか…脳だけ機械の人間と脳以外全部機械の人間だったらどっちがより"人間であるか"的な話になるんだろう。まず人間は生物なので、生物学的に見ればAIは明らかに人間と一緒にはできない。でも法とか権利とかそういうのは科学よりも文化に基づくものだから、"文化を構成するモノ"という点ではヒトもAIもそれに含まれ、何らかの権利をAIに宛がう必要が出てくる。でもAIはプログラムであり、いろいろな形態がある。より人に近い形だとか感情の表現が細かいだとかそういう部分ではっきり線引きすることは難しいはずだ。そもそもAIは人間が楽に便利に暮らしていけるように代わりに働かせるために作ったもので、ならいっそアメリカ軍のようにAIは機械で抹殺(というか破壊)しても問題はないという考え方が適切かもしれない。でも見た目も行動も人間にそっくりのロボットを「破壊しろ」なんていわれたら…??

 

 まあ実際にどこまでAIにヒトの機能を付与できるかは現実ではわからないし出来たとしてもまだまだ先のことにはなるんだろうけど…こういう映画を見ると妄想が止まらなくなりますね♬…って、全然映画の感想じゃ無くね??