ただの映画日記

備忘録として映画の感想文を書いているだけ。

「パラサイト / 半地下の家族」感想

2022.10.11 初回鑑賞

ボン・ジュノ監督/韓国/2019年

 

 3年前の話題作を遅ればせながら鑑賞。アカデミー作品賞とカンヌ国際映画祭パルムドールを受賞しているだけあって、エンターテイメントよりもアカデミック要素の強い内容なのかなと思いきや物語としても非常に楽しめるもので、一時たりとも画面から目を離せなかった作品だ。

 ジュラシックワールドのようなパニックものの怖さは大丈夫なんだけど、本作のようなホラーっぽい怖さは苦手で、後味も悪いし映画を観た日は絶対夢見が悪くなる所謂ビビリなんだけど、そんな個人的な好みを取っ払ってしまえば本当によくできた映画だったといえる。2時間でテンポよく進むストーリーに画面内での細かな描写が作りこまれていて、2回観れば2倍の新しい発見ができるんじゃないだろうか。(怖いから観ないけど。)

 後から調べて分かったことだけど、この映画は富裕層と貧困層の経済的な縦の構造を画面内でビジュアル化しているらしく、カメラワークの上下や登場人物たちの上下の動線、さらには富裕層と貧困層を分け隔てる線まですべてのシーンで細やかに表現されていたらしい。2時間で一気に駆け抜けるストーリーだけでなくスクリーンをフルに活用した撮影技法を多用することに、テレビドラマではなく映画として制作しなければならない意義を感じてとても良い。

 

 物語の前半は、ある失業中の両親を持つ貧困家庭の長男キム・ギウが富裕層パク家の家庭教師としての仕事をもらったことを機に、その富裕層の家庭を上手いこと騙して元いた家政婦やドライバーを蹴落とし妹や両親をその代わりとして紹介して、ついにはキム家の全員が家族であることを隠しながらパク家に就職する作戦がテンポよく描かれている。この辺りまではある程度のご都合展開もありコメディタッチなのだが、パク一家が泊りがけのキャンプに出掛けるため家を空けたシーンで展開が一変。勤め先の家が留守なのをいいことに、キム一家はパク一家の豪邸に我が物顔で居座りレッツパーリィ。リビングでディナーを謳歌しているところに、突然前任の家政婦が訪ねてくる。「忘れ物をした」というい家政婦を中に入れて、元家政婦について厨房を降りると、そこには隠し扉と地下に通じる階段があった…

 ここでまず衝撃の展開第一弾である。正直もっとのっぺりした映画かなと思っていたので、こんなホラー展開が待っているとは思わなかった。しかも隠された地下室には元家政婦の借金まみれの夫が隠れて暮らしていて、何年も夜な夜な地下から上がってきては富裕層一家の冷蔵庫を漁り食べ物をくすねていたとか…自宅の地下に知られざる地下室があるってだけでも怖いのに、そこに罪人が住んでいるなんて悪霊よりも断然厄介。ってか怖すぎ。それに気づかない富裕層も相当ヤバいけど、夜中に偶然地下から出てきた元家政婦夫を目撃してしまったパク家の坊やは気の毒すぎる。あれは子供じゃなくても間違いなく気絶するよ。まあ元家政婦夫妻を「何年も富裕層の冷蔵庫からくすねていたっての!?」って断罪するキム夫人には「自分のこと棚に上げすぎだろ」って笑っちゃったけれども。

 この映画の何より怖い点は、こんな話映画の中だけだろって言いきれないところ。映画の中でも言及されていたように実際に韓国には現在でもかつての防空壕の機能を持った地下室をそのまま抱えている豪邸があるんだとか…暮らしていける部屋があるからにはそこに何かが住みついていてもおかしくない…いや、おかしいけど。もし自分が一軒家に住んでたらこの映画観た後間違いなく寝られなくなってた。

 最後には坊やの誕生パーティー中に地下から這い上がってきた元家政婦夫が狂人になって包丁を振り回し富裕層が集まる中でキム家に襲い掛かり大騒ぎ。ここが衝撃の展開第2弾。キム家の父は気がヘンになってパク家の主人を殺してしまうし…その後偶然にも空いていたガレージからパク家の地下室に逃げ込むキム父の姿に、ループ性を感じてまたもや恐怖。こうやって富裕層の下に貧困層がこっそり寄生する状況がいつまでも繰り返されるんだなと。ギウは今後きちんと稼いであの豪邸を買って父を迎えに行こうって最後計画を立てるけど、それも何となくうまくいかない気がして希望の持てないエンディング。

 「絶対に成功する計画は”無計画”だけだ」というキム父の言葉が、抜け出せない貧困層の人々の考え方を物語っている気がしてうまいなあと。無計画に生きてきたからここまで追い詰められてるんだろ、と思う一方、そういう思考を生み出してしまう経済格差の恐ろしさを意識させられ、結局格差がなくならない限り平等な幸せは生まれないし、資本主義社会である以上格差がなくなることはないから完璧な平等なんて望むことはできないんだろうなと、そんなことを深々と考えさせられる映画だった。

 

 端から坂の上の豪邸に住む富裕層と半地下に住む貧困層の一家というわかりやすい上下構造があったものの、階段を上るのは必ず富裕層で下るのは貧困層、だとか、貧困層を映すときはカメラが上から下に動くだとか、そういった細かい作りこみによって観客は気づかぬうちに社会格差と隔たりを強く意識させられている。テントで過ごす息子を見守るパク夫妻がソファで眠るときでさえ貧困層は一段低いテーブルの下に隠れていて、ここでも経済的な上下が物理的な上下に変換されている。こんな近くに隠れているのに富裕層は下を見ることが無いから危機に気づかない。お金の余裕は心の余裕というけど、ここまで危機感がないのは余裕があるというよりただの注意力散漫。まさか自分たちのような何の問題もない優良な家庭が貧困層の事件に巻き込まれるなんて考えたこともなかったんだろうな。寄生している側、寄生されている側、どちらもヤバい。

 ハリウッド映画のような精巧なCGや派手な爆発があるわけでもなければ、きっとかかった予算も比べ物にならないほど安いのだろう。ジャンルとしてもSFやファンタジーのような非現実とはかけ離れたヒューマンドラマ、しかしながら退屈さを感じさせないテンポのいい練りこまれたストーリーと工夫を凝らした撮影には脱帽。日本映画と同じで象徴的な音楽が付いていたわけでもないけれど、のっぺりした感じは全くなくストーリーやキャストの演技で十分起伏が付いていて、逆に派手な音楽が無かったことでリアリティが増していたのかも。こういうサイコ系のヒューマンドラマが好きだったら、間違いなくドハマりしていた作品だっただろうと思う。